V. Florenz P.302 – 306 日本語訳(40)

日本語訳の第40回目です。
英訳はますます手抜きになってきて、時には元のイタリア語の文章の半分だけ訳している箇所まで出て来ています。
そのため、自分で考えて訳すしか無くなっておりその分時間がかかっています。
特に、piccioliという単語が中々辞書に見つからず苦労しましたが、イタリアのフィレンツェの古文書館に残された初期の帳簿をデジタル化して会計ソフトで解析するというすごい事をされている方のサイトを見つけて解決しました。(そちらは「13世紀後半から14世紀前半におけるフィレンツェの通貨について」という別記事にしています。)
なお、これまでの訳でアルベルティ家、ペルッツィ家としている所は、別の書籍を見るとアルベルティ商会、ペルッツィ商会とされています。しかし既に商会という形で「会社」が発生していることにするとヴェーバーの論述と合わなくなるため、現時点では「家」にしておきます。最終的にどうするか検討します。
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家計ゲマインシャフト

 まず第一に登場して来るのは、ゲゼルシャフトの自然な特性としての共通の家計である。libro segreto des Giotto Peruzzi(ジオット・ペルッツィの決算帳簿) の1308年以下及びその他の年の中にある記帳明細は、あるソキエタスの成員のソキエタス共通の費用として支出された分をある成員個人が立て替えた生計上の支払い 23)についての精算を含んでいる――:それは例えばパン、塩漬け肉、酒、馬、ロウソク、小遣い(danari borsinghi《=財布の中のお金》)、奉公人の賃金など――そしてそれらから切り離されていない帳場や商品倉庫での必要な支出、例えば定型文書と業務の帳簿用の羊皮紙、封ろう、筆記用具などである。これらの支出についてはまずは金庫番のソキエタスの成員によってソキエタスの共通金庫から払い出され、それから個々の関連する家族のメンバーに対して割り当てられる 24)。

23)Baldusによってもまた、Consilia II 260 において、家計上での費用支出で疑わしいものは、単純にソキエタスの成員達による議論の対象となっている。

24)例えば Peruzziの: 1308年の codici(補遺)の t. I p.2:
Sono lire 698. 16. 8 a fiorini che Tommaso Peruzzi e Compagni nostri pagarono per me Giotto Peruzzi per la terza parte di spese di casa e famiglia comune col detto Tommaso e con Arnoldo miei fratelli la quale fue da Kalen novembre 1308 a Kalen novembre 1309 — — l. 698. 18. 8.
(私は8月16日に698リラをフィオリーノ金貨換算で《当時のフィレンツェはフィオリーノ金貨とピッチョロ銀貨が使われていたが、この2つの交換比率は変動していたため{銀は次第に減価していた}、この当時金額をリラで言う時はどちらの価値をベースにしたかを言う必要があった。》受け取った。それはトマソ・ペルッツィと私の所属するソキエタスが私ことジオット・ペルッツィに対して支払ったもので、それは家と家族の共通の出費の1/3についてであり、前述のトマソとアルノルドの2人の兄弟と一緒に{1/3ずつ}もらったものであり、それは1308年の11月1日から1309年の11月1日についての支出予定としてである。―――698リラ、8月18日。)

 1309 p.3: Sono l. 933. 4. 10 a fiorini che Tommaso etc. pagarono etc. per la terza parte di spese di casa, di famiglia, per fazioni di comuni, di cavalli e di fanti, pane e vino e a nostra e loro spese comuni con Tommaso suddetto e Arnoldo nell’ a.
 (1309年のp.3:私は10月4日に993リラをフィオリーノ金貨換算で受け取った。それはトマソ他が支払ったもので、それは家、家族と、またソキエタスの共通費用の一部について、馬、{男の}召使い、パンと酒、また上記のトマスとアルノルドとの共通の支出を含めた1310年の予定支出の1/3としてである。しかしこの金額は137番帳簿の分として記帳される。―――933リラ、10月4日。)

 1310 pero in spese in questo libro nel 137 — — — — — l. 933. 4. 10. 1310 … per spese della mia famiglia per calzare, vestire, danari borsinghi, più 35 fiorini d’oro giocati e 45 fior. d’oro per spese di mobilia al bagno a Menzona come appare al libro della compagnia.
 (1310年…私の家族の次の支出について、つまり普段着とドレスと、お小遣い、の支出分として追加の35リラがフィオリーノ金貨換算で提供され、更に45リラがフィオリーノ金貨換算でメンツォナの家の浴場の備品の費用として提供され一緒にソキエタスの帳簿に記帳される。)

 1312 … di mangiare e bere, salario di masnadieri, di fanti e lanciulli e spese di cavalli e fazione di comune e altre spese che face a comune …
 (1312年…飲食の費用について、警備担当のごろつき共の賃金、男女の召使いの俸給、馬、ソキエタスの共通費用の一部と、共通の目的で使われた他の費用…)

今やはっきりとした発展が認められるようになった。1313年にはこのような共通の支出、今丁度そう名付けるのであるが、が出現している。しかしそれははっきりそれと強調された例外的な支出と一緒にされており、その例外とは被服費や小遣い銭の費用であった。この最後のものについてはそれを発生させた者の特別な勘定に入れられた 25)。

25)… per la terza parte di spese di casa, di famiglia, e fazione di comune e altre, senza vestimenti nè calzamenti nè danari borsinghi, spese in comune col detto Tommaso mio fratello e con Ridolfo di Donato mio nepote …
(…の支出の1/3について、家の、家族の、そして共通の費用の一部、そして他の費用、しかし衣服、靴、小遣い銭は除き、また前述の私の兄弟であるトマソと私の孫であるリドルフォ・ディ・ドナートと一緒に費用を…)

そのような共通の支出というものが出て来たのに適合してある変化が1334年5月1日のアルベルティ家の相続において同様に出現しているのを見出すことが出来る。それによればある未来の時期まで――その時までは支出はペルッツィ家の場合と同じように取り扱われ――各人は自身の家族の必要とするものの費用を自らが負担しなければならなかった。そこから例外として除かれたものはゲマインシャフトで一緒に行う宴会の費用といくつかの同様のものの費用だった。そういった費用はひとまずは共通の費用として扱われ、その後各家族に割り当てられた。しかしながら明白なこととして、関与している各家族のソキエタスの中での力が異なっていることにより、まずは各々の成員に対してあらかじめ決められている固定額がその者の負担分として記帳され、その後残った分についてだけ均等に分割されてそれぞれの負担とされたのである 26)。

26)1334年の5月1日よりカロッチオ、ドゥッチオとアルベルト・ディ・ラポ・アルベルティの間で次のようなやり方の精算が行われるようになった。つまり、”ciascheduno quelle della sua propria famiglia del suo proprio le debba fare, chome bene piacerne a ciachuno” (各々はこれらの自分自身の家族についての費用について本人自身がそれを負担しなければならない。そのやり方は各々にとって好ましいことである)、これに対し、
“le spese chessi far a chomune, cioè alle tavola nostra, ove chomunemente partecipiamo, e le spese chomuni a minuto diputa a presente affare per noi a Jacopo di Charoccio … queste cotali tassiamo, che ne debba tocchare per anno a Charoccio l. 300 piccioli e a Duccio l. 250 piccioli e a Alberto l. 200 piccioli l’anno.
({ソキエタスの}共通の経費として発生した支出については、それは我々が一緒に集まって会食した費用であるが、その共通の支出は細かなものを含めて出席した者に委任され、我々の間での処理についてはジャコポ・ディ・カロッチオに…この支出については次のように割り当て、今年の内に取り立てなけれならない。カロッチオには300デナリ・ピッチョリで、ドウッチオには250デナリ・ピッチョリで、そしてアルベルトには200デナリ・ピッチョリの支払いを今年の分として割り当て取り立てる。)

 E fummo in achordo che se la detta spesa fosse maggiore che quel chotale piu fosse per terza intra noi e se la detta spesa fosse minore che anche quel meno fosse per terzo intra noi.”
 (次のことについて契約が取り交わされており、上記の支出が今割り当てた金額の合計より多い場合はその超過分は我々の間で1/3ずつ負担する。逆に実際の支出額が割り当て合計額より少ない場合は、その余った分は我々の間で1/3ずつ支払額から控除される。)

《フィレンツェの通貨は従来からあるデナリ・ピッチョロと言う銀貨に加え、1252年にいわゆるフィオリーノ金貨(フローリン金貨)を鋳造し、このフィオリーノ金貨が19世紀における英ポンドや第2次世界大戦後のブレトンウッズ体制での米ドルのように、その当時の欧州での国際金融・商取引における基軸通貨となった。しかし国内での日常品の売買などにはフィオリーノ金貨は額面が大きすぎて使いにくく、デナリ・ピッチョロ銀貨も使い続けられた。1252年での1フィオリーノ金貨は240デナリ・ピッチョロ銀貨の換算レートであったが、このレートは変動するものであり、14世紀前半には1フィオリーノ金貨=780デナリ・ピッチョロ銀貨にまで銀貨が減価していた。このため、何かの金額をリラの単位で言う時はフィオリーノ金貨とデナリ・ピッチョロ銀貨のどちらで換算したものなのかを示す必要があった。なお、このデナリ・ピッチョロは現在イタリア語で、”denaro spicciolo”(小銭)という形で今も残っている。》

 同様の方法で宿泊者があった場合の費用を共通で分担する場合のある決まった額の割当金が規定されている。もし実際の金額がその定額を超えている場合には、超過分は各々が負担していた。費用全体をどのように個々の成員で分担するかについては、ソキエタスにおける兄弟達の動産の額に比例して割り当てられており、該当の者の勘定への算入という形で処理されていた。

 こうした(共通の費用の発生という)変化は、それは我々にはピサにおいて確認した現象を思い起こさせるものであるが、先に叙述した法の発展の傾向について間違えようがないはっきりした具体例を提供している。その傾向には元々無制限であった個々のソキエタスの成員の財の処分の自由という権利を、ソキエタスの人間関係に適合する形で制限するというものである。

ゲマインシャフトの土台としてのソキエタス契約

 いまや我々の研究もゲマインシャフト関係の基礎を論じる所にまで至ったが、その際にその基礎というものは形式的には契約によったものである。なるほど家計のゲマインシャフトというものは、世代から世代へと継続していたが、それへの参加者というものは、継続して同一の者とその子孫であった。しかしながら形式的にはある決まった年数に時間的に制限されたゲゼルシャフトがその都度書面によるソキエタス契約によって作り出されており、その契約が更新される際には常に参加者の分け前としての権利も新たなものに差し替えられた。

27)Peruzziによって既に引用済みの箇所を含む多くのソキエタス契約を含んだ書籍が出版されている。

資本金と各ソキエタス成員の出資

 ソキエタスの資本金――il corpo della compagnia (コムパーニアの実体)――は各ソキエタスの成員の出資金を合計したものとして成立していた。

 これらの出資金は、通常の場合認められうる限りにおいて全部をまとめた合計額として表現され、利益が繰り入れられ損失が控除される。各ソキエタスの成員の出資金は総決算(Generalrechnung)、つまり saldament della compagnia 28) (コムパーニアの決算)と呼ばれたもので、一般的に2年に1回行われる決算までは増額も減額もすることが出来なかった。その決算の時までは、またそのソキエタスの成員の死においても、その出資金はソキエタスに縛り付けられ、そして利益と損失を分割する際の基準となった。決算の時になってやっとソキエタスの成員は出資金の額を変更することが出来、そしてそれ以降増額したまたは減額した結果としての出資金の額でソキエタスの成員はソキエタスに関与し、その金額でのその成員の新たな資本勘定が開設されるのである。その決算において、もしそれがある場合はようやく利益が発生するので、その成員の「購買」もまた疑い無く、前もって一概にはその成員の資本勘定への算入は許されておらず 29)、そうではなく、我々が既に見て来たように個人的なまたは家計上の必需品対する支出も、ソキエタスの共通金庫から支払われ、後にそれらの支出が各成員に振り替えられた。(もしかすると、またはよりむしろ、非常にはっきしたこととして、後の時代になって共通の家計用の金庫はソキエタスの共通金庫から分けられるようになった。)ソキエタスの財産はこういったやり方で、形式的に閉じたものとなっていた。

28)ソキエタス契約の協定として繰り返し登場している。

29)その成員の分の利益の分け前についても同じで、何故ならばそういったものが存在しているのが分るのは決算が行われてからであったからである。

各ソキエタス成員のゲマインシャフトの外部での特別財産。
1.不動産

 まず第一にソキエタスの財産の外部にあるものとして留まったのは不動産の形での所有物だった。共通の不動産というものを見出すことが出来るのは、特にフィレンツェにおける家であり、それはゲゼルシャフトの居住地となっていたが、明らかに共通のものであった。しかしながらソキエタスの契約と決算から次の事が出現して来ているように思われる。つまり資本金への出資だけが計算され記帳されており、資産を分割したり持ち分を計算したりすることは、ただ動産の場合のみに可能となっていた。このことは上記の一般的な(不動産についての)説明と矛盾していない。外見上はっきりした、当時の慣習に適合した、包括範囲の広い不動産の所有はソキエタスの参加者の特別な所有権として成立し、ゲマインシャフトにおいては考慮されなかった。フィレンツェにおける諸家族の間では良く知られているように、家とその分割物《相続の際に、ある家を間仕切で区切って分割することが行われていた。》に対してのはっきりした所有というものが見出される。しかしながら個々のソキエタスの成員の不動産についてはソキエタスの契約の中では全く言及されていない。

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