日本語訳の第41回目です。第5章も後1段落を残すだけです。残った未翻訳のページ数は21で、9月末までには完了の見込みです。
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個人の動産
それにも関わらず、ソキエタスの成員はゲゼルシャフトの基金以外にも動産を所有している。そしてそうした動産の中で我々にとって取り分け重要なのは、次のような資金である。それはソキエタス(コンパニーア)において何かの目的で自発的に出資されたものであるが、しかしながら出資金としては扱われないものである。ほとんどすべてのソキエタスの契約の中にそういった資金についての規定を見出すことが出来る。そういった資金はあるソキエタスの成員が、”fuori del corpo della compagnia”(コンパニーアの資本金の外側で)所有するものである。というのもここにおいてはソキエタス(コンパニーア)の資本金の特徴は、ソキエタスの成員がその資本金における自己の出資額を決算が行われるまでは変更することが出来ないということであり、そのために次のことを受け入れなければならなかった。つまり各ソキエタスの成員は当初の出資金以外の資金を初期出資と同じやり方でソキエタス(コンパニーア)に関連付けることが出来ないということである。そういった類の資金は、そのソキエタスの成員独自の勘定として取り扱うことが可能であろう。その勘定とは、その金額についてはその成員が総決算の時以外であっても増額したり減額したりすることが出来る、そういう性格のものである。そのことに適合するのは、――そしてそれはソキエタスの契約の中で何度もはっきりと述べられていることであるが、――そういった資金はその成員の出資金と同様のやり方では収益や損失に関与することは出来ないということである。大抵の場合、そうした資金はソキエタスにとっては単にそれをソキエタスの成員に対して利子を支払うべき借り入れであるように見え、それは今日においての、いつでも引き出すことが出来る銀行預金と同じである 30)。
30)Peruzziにおける1300年のソキエタス契約(Peruzzi編 l.3 c.2 6番)。結論部は:Ordinato si è quando faremo ragione di detta compagnia che ciascuno abbia sua parte siccome toccherà per migliajo; ancora si è ordinato che quelli compagni che tengono de’ loro danari fuori del corpo della compagnia e dovranno riaverli da essa la compagnia ne dove a quei cotali a ragione dell’ 8 per cento l’anno.
(次のことが取り決められる。つまり我々が前述のコンパニーアについて権利を持つ場合、その権利とはそれぞれが自分の取り分を1000分のいくつという単位で表された分だけ持つことになるというものである。しかしまた次のことも取り決められる。つまりこれらのコンパニーアの成員達が彼らのお金をコンパニーアの資本金以外で保持する場合、彼らはそのコンパニーアから1年間8%を利子として支払いを受けなければならない。)
1322年のアルベルティ家のソキエタス契約: … il corpo della compagnia diciamo che sia in somma l. 25000 a fiorini e ciascuno debba partire per sua parte per gli denari che metterà per suo corpo di compagnia del guadagno e perdito che Iddio ne desse; e que’ denari che si metterano per lo corpo siano obbligati alla detta compagnia e niuno ne posse trare nè avere per niuno modo, salvo che quando si facesse il saldamento della regione della detta compagnia e se avesse alcuno che ne volesse traere, si possa in questo modo che da quello saldamento inanzi debba abbattere di sua parte e di suo corpo di compagnia quanti danari egli traesse e quei che rimangono s’intendono essere sua parte. Ancore se … volesse al saldamento … mettere … piu danari … debba dal saldamento … inanzi partire per gli denari che vollà mettere … E ciascuno de’ detti compagni che avrà danari nella detta compagnia, oltre i denari che avrà per il suo corpo, stea al provvedimento degli altri compagni p.p. t. I p.25).
(…我々はコンパニーアの資本金を合計でフィオリーノ金貨換算で25,000リラとする。それぞれの者はそれぞれの持分としていくら出資するのかを明確にしなければならない。その投資した資金については、コンパニーアの資本金の中でその者の持分となり、そこから上がる利益と損失については神がそれを与え給うであろう。このコンパニーアの資本金として投資された資金については、前述のコンパニーアの債務と見なされ、誰もその資金を引き出したり所有するすることはどんなやり方でも出来ない。ただ前述のコンパニーアがその所在地にて実施する決算の場合を除く。もしコンパニーアの成員の内の誰かが(資本金から)お金を取り戻したいと思う場合には、この決算の時は可能であるが、その際にはあらかじめその者の分の資本金をその分だけ減額しておかねばならず、自分の分の資本金からいくら取り戻してその結果残ったその者の資本金がいくらになるかを明確にしなければならない。しかしもし成員の内の誰かが決算の時に更に資金を投入したい場合には、その決算の時ににいくら増資したいかをあらかじめ明確にしておかなければならない。そして前述のコンパニーアの成員の内の誰かが、そのコンパニーアにおける自分の分の資本金を更に増やしたい場合には、その金額をあらかじめ他の成員に通知しておかねばならない、等々。(t. I p.25))
ここで書かれていることはPeruzzi編の1304年のアルベルティ家の契約の内容と既に合致している。
1336年のアルベルティ家の相続協定
こうした(コンパニーアの成員間の)人間関係の全体像について理解する上で最も良い材料となるのは、1336年のカロッチオ、ドゥッチオ、そしてアルベルトの3兄弟のラポ・デル・グィディーチェ・デイ・アルベルティの遺産についての相続協定であり、その遺産はその協定の時まで17年間も分割されない状態のままで置かれていた。その協定における本質的な取り決めの部分をここで吟味する意義が十分あるであろう 31)。
31)Passeriniによる出版物、Gli Alberti di Firenzeを参照。
ラポ・デル・グィディーチェは死の際にコンパニーアにおいて、それへの出資分として1200リブラを保持していた。1336年の遺産分割の際には財産の内訳は次のようになっていた《死の際の1200リブラの出資金とと下記の数字との関連が不明、出資金ではなく下記の”in Accomandigia”(預け入れ金)のことか?》:
22,300リブラ コンパニーアの資本金中の出資額
10,308リブラ18ソリドゥス6デナリ コンパニーアへの出資金以外の投資額
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32,608リブラ18ソリドゥス6デナリ が動産として、それに
4,785リブラ の不動産(課税対象額)が加わり、合計で
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37,393リブラ18ソリドゥス6デナリ が分割対象の総額となる。
この合計額から、4,008リブラ18ソリドゥス6デナリが兄弟達の共通の負担分として、コンパニーアに対しての”in Accomandigia”(預け入れ金)として控除されることになる。このことの意味は:利子を条件とした預け入れかあるいは疑似的なコムメンダ(資金委託)で、つまりは収益の分け前を条件としてのものである。この場合においては利子付きの預け入れの方がまずはより確からしく思われるが、しかしながらジェノヴァにおいてコムメンダによる委託の商品がソキエタス自身の商品と並置されたように、それ自体としてここではコムメンダ(による出資)が出資資本金に並置されていると解釈することも出来る。ソキエタスの成員はそれから出資金を保持している公開社員であるのと同時に、匿名の社員(持分所有者)であるとも考え得るであろうし、利益の分割の仕方については、推定ではあるがそれぞれ異なっていたであろう。この事例においてまた後者の匿名社員という人間関係が想定されているであろうことは、この協定の中で言及されている亡父の遺言に基づく規定が示している通りである。その遺言によれば3人の息子をはフィオリーノ金貨換算で200リラをそれぞれの息子(亡父の孫)のコンパニーアへの出資分として負担することになっており、この規定の詳細な記述は先ほど述べた疑似的なコムメンダを意味している 32)。
資本金として設定されている金額 37,393リブラ18ソリドゥス 6デナリ
- 各成員についての控除分 4,008リブラ18ソリドゥス 6デナリ
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差し引き残額 33,385リブラ 0ソリドゥス 0デナリ
この残額については3人の兄弟の間で分割される。そしてなるほどより年長の兄弟の分け前の分についてはその妻の嫁資がゲマインシャフトの中に算入されている筈なので、カロッチオの取り分はドゥッチオよりも500リブラ多くなり、またドゥッチオはアルベルトよりも1000リブラ多く取るということになる。
従って兄弟間での分割の内訳は:
カロッチオ 11,794リブラ
ドゥッチオ 11,295リブラ
アルベルト 10,295リブラ
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合計 33,385リブラ
となる。これによって資本金である33,385リブラは上記のようにきれいに分割されてそれぞれの持分が設定された訳である。
この遺産分割については次図で再確認する:
それぞれの所有分は 33):
32)この場合において、コムメンダ的に委託されている資本に対して、更にある金額を追加したりまた何かの用益権を更に付加するということが認められていなかったというまさにそのことから、次のことが明らかになる。つまりそのようなコンパニーアの資本金の外にある資金の受け入れが、今挙げたケース以外では許されていたことを。
33)ここに引用された数字は、Passerini編の書籍によっているが、写本の状態が良くなかったことが、あるいは印刷が良くなかったことが原因で、ひどく歪んでしまっており、計算の結果がしばしば食い違っている。私はそれに対して自分なりの修正を施しているが、ただそれによってのみ正しい計算結果を確認出来たと考えるが、しかし一つ一つの修正についてここで細々と述べるには紙面が足りない。
カロッチオ ドゥッチオ アルベルト 合計
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1)動産 725L-S-D 2,030L-S-D 2,030L-S-D 4,785L-S-D
として
2)資本金に 7,766L13S04D 7,766L13S04D 6,776L13S04D 22,300L-S-D
組み入れ 《他が正しければここは
6,766S13S04Dの間違い。》
3)資本金外の3,303L6S8D 1,498L06S08D 1,498L 6S 8D 6,300L-S-D
資金
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合計 11,795S-S-D 11,295S-S-D 10,295S-S-D 33,385L-S-D
上記以外のコムメンダによる委託 4,008L18S06D
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以上で前述の資本合計となる。 37,393L18S06D
《L=リブラ、S=ソリドゥス、D=デナリ、1L=20S、1S=12D》
この表から分るように、それぞれのソキエタスの成員が所有するのは:
1)不動産であって、ソキエタスとは無関係に存在するもの。
2)動産であって、明示的に示されている限りにおいてソキエタスとは無関係のもの。
3)動産であって、ソキエタスにおいて、利子付きという場合であれ、利益についての配当という形であれ(無利子の預け入れではない、それは用益権への言及が示している通りである)、投資されているもの。
4)コンパニーアの資本金の中での各自の出資金としての財産。
成果
corpo della compagnia というイタリア語での表現は、ラテン語では corpus societatis (ソキエタスの実体)に相当する。このラテン語での表現は法律家においての、例えばBaldusの用法では、外部に対する関係においてのゲゼルシャフトの財産、つまり合名会社の特別財産を意味する。ここにおいては同じ表現が内部に対しての関係としての特別財産を意味するのであり、それはこれまで述べて来た状況の中から発生してきたように見える。諸法規が外部に対しての特別財産というものを制定し定義するように、ソキエタスの契約はそういったものを内部に対してソキエタスの成員達に対して制定し定義するのである。そして外部に対してのゲゼルシャフトの特別財産と同じものの内部に対してのものが全く同一のものであることは全く疑いの余地が無い 35)。この2つが相等しいということは何らの偶然でもなく、また法学における観察において無視して良いことでは全く無い。更に次のことについては詳しく論じるまでもなく自明のことである。つまり corpus societatis というものは必要性から生まれた合名会社の歴史的な発展であり、ゲマインシャフト(会社)の位置付けとして、(会社の)財産に対する唯一の主体であるということと適合している。以上のことを見解としてまとめると、この corpo della compagnia というものは、フィレンツェの(法的)文献史料においては、その概念を他から切り離して特別なものと捉え、そしてそれに対して特別の記述を行うことが本質においての目的であった。ここでの成果としては、 Laband の見解に対しての歴史的な観察に基づく意見の表明という意義を持っている。
34)Consilia V 125を参照。
35)もちろんこの同じであるということの意味は、corpo della compagnia と corpus societatis が表現として意味が同じだからではなく、誰かが “nella compagnia”(コンパニーアの中で)持つもの(Statuto dell’ Arte di Calimata I c. 62の先に引用した部分を参照)で、まさにここで記述した出資金以外のもので、外部に対しての関係で同一の役割を持つ何か別のものが存在するということは全く考え難いからである。