折原浩訳の問題点(48)

ちょっと長いですが、
慎重さに欠け、構文も理解しておらず、日本語も変、という三拍子揃っています。

(1)der Reinen und Erlesenen
ここは「清浄な者たち」と「選ばれた者たち」の並列ですが、それを勝手に「選ばれた清浄な人々」とまとめてしまう。

(2)Tendenz zu einer rein ethischen Wendung zeigt
「純粋に倫理的な尺度に基づく表現になりがち」を、「もっぱら倫理的な方向に転ずる」と断定に変えているのとまた「転ずる」では意味が分からない。

(3)spirituell は宗教的・二元論的文脈なので「精神主義的」はあり得ず、誰が考えても「霊的」。

(4)Materiellen, Körperlichen
ここも「物質的なもの、肉体的なもの」の並列を「質料的なもの、つまり身体的なもの」に勝手にまとめている。また「質料的」もここでは明らかに「物質的」の意味。変な哲学用語で訳すべきではない。ちなみに「いっそう粗野な」もここは比較級の絶対用法と解釈した方が自然で、「非常に粗野な」ということ。

(5)Lichtreich
これは決して誤訳じゃありませんが「光の国」と訳すと、私以下の世代はほぼ全員M78星雲を連想するので(笑)、私は「光の領国」にしました。

原文
Der schließliche Sieg der lichten Götter in dem nun entstehenden Kampf steht meist — eine Durchbrechung des strengen Dualismus — fest. Der leidensvolle, aber unvermeidliche Weltprozeß ist eine fortgesetzte Herausläuterung des Lichtes aus der Unreinheit. Die Vorstellung des Endkampfs entwickelt naturgemäß ein sehr starkes eschatologisches Pathos. Die allgemeine Folge solcher Vorstellungen muß ein aristokratisches Prestigegefühl der Reinen und Erlesenen sein. Die Auffassung des Bösen, welche bei Voraussetzung eines schlechthin allmächtigen Gottes stets die Tendenz zu einer rein ethischen Wendung zeigt, kann hier einen stark spirituellen Charakter annehmen, weil der Mensch ja nicht als Kreatur einer absoluten Allmacht gegenübersteht, sondern Anteil am Lichtreich hat, und weil die Identifikation des Lichtes mit dem im Menschen Klarsten: dem Geistigen, der Finsternis dagegen mit dem alle gröberen Versuchungen an sich tragenden Materiellen, Körperlichen fast unvermeidlich ist.

折原訳
ただし、現に発生している闘いにおいて、光の神々が最終的に勝利を収めるであろうことは――厳格な二元論を破ることにはなるが――おおむね確定している。不浄なもののなかから光を取り出して絶えず浄化することが、苦悩に満ちてはいるが避けることのできない世界過程である。[暗黒の力にたいする光の神々] の最終的な闘いという観念からは、当然ながら、きわめて強烈な終末論的情熱が発生する。
こうした観念からは、一般的な帰結として、選ばれた清浄な人々の貴族主義的な威信感情が生まれるほかはない。端的に全能な神という前提のもとでは、悪の観念がつねに、もっぱら倫理的な方向に転ずるが、この二元論のもとでは、むしろ顕著に精神主義的な性格を帯びることになろう。それというのも、人間が、被造物として全能の絶対神に対峙するのではなく、光の国に参与していることになるれば、一方では光を、人間におけるもっとも曇りのないもの、つまり精神的なものと同一視し、他方では暗黒を、それ自体としていっそう粗野なあらゆる誘惑をそなえた質料的なもの、つまり身体的なものと同一視することが、ほとんど避けがたいのである。

丸山訳
光の神々の新たに発生した戦いにおいての最終的な勝利は多くの場合--それは厳密な意味での二元論を破壊することになるが--確定していた。苦しみに満ちた、しかし避け難い世界における過程は、光を継続して不純さから分離し浄化することである。最後の戦いという概念は自明のこととして、強い終末論的な熱情を発展させる。こういった概念の一般的な結果は、心の清い人々と選ばれた人々の貴族的な威信感情であるに違いない。悪人というものの把握は、それは単なる全能の神という前提の元では常に純粋に倫理的な尺度に基づく表現になりがちであるが、二元論においては強く霊的な性格を取るのであり、何故ならば人は被造物としてある全能者に対置されるのではなく、光の領国において持ち分を確保しているからであり、さらには光と人間の一体化は人間の内でもっとも清澄なもの、つまり霊的なものにおいて起こり、それに対して闇は全ての非常に粗野な欲望をそれ自身に担っている物質的なもの、肉体的なものと一体化するのは、ほとんど避け難いことである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA