折原浩訳の問題点(54)

また折原訳の変な日本語。massivst は「頑強このうえない功利的期待」ではなく、「これ以上ないほど剥き出しの、露骨な功利的期待」です。ゴツゴツした岩などが誰が見てもはっきりそう見える、という意味です。要するに通常我々が「救済」と聞いて想像する倫理的な性格をもったものではなく、まったくの現世御利益的なものと言っている訳です。そういう文脈が何故読み取れないのか、「頑強な期待」が日本語としておかしいと感じないのか、不思議です。

原文
Zahlreiche andere Religionen kennen »Erlösung« nur als eine in engen Konventikeln gepflegte Sonderangelegenheit, oft als einen Geheimkult. Auch bei religiösen Handlungen, welche als ganz spezifisch »heilig« gelten und ihren Teilnehmern ein nur auf diesem Wege erreichbares Heil versprechen, stehen sehr oft die massivsten utilitarischen Erwartungen an Stelle von irgend etwas, was wir gewohnt sind, »Erlösung« zu nennen.

折原訳
それ以外の数多の宗教では、「救済」が、狭い範囲の信徒集会で育成される特別の事項として、しばしば秘教的な礼拝として、知られているだけである。まったく独特の意味で「神聖」とみなされる宗教的行為で、その参加者にはもっぱらそこを通って救済に到達できると約束されている場合にも、頑強このうえない功利的期待が、「救済」と呼びならわされているものにとって代わっていることが、頻繁に見られる。

丸山訳
数多い他の諸宗教は「救済」を、ただ限定されたメンバーでの秘密集会にて取り上げられる特別な問題として、しばしば秘密の祭儀としてのみ知っている。また宗教的な諸行為においても、それらが全く特別に「聖なる」ものと見なされ、そしてその諸行為を行う者に対して、この方法によってのみ到達可能な救済が約束され、非常にしばしば、我々が通常「救済」と呼ぶものの代わりに、これ以上無いほど露骨な功利主義的な諸期待が存在しているのである。

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