折原浩は「「旧稿」における「ゲマインデ」の概念(第一部会第二報告草案、その4、2006年3月10日現在)――3. 17/18京都シンポジウムに向けて(11)」というホームページ記事の中で、宗教の教団という意味ではない普通の意味でのゲマインデについて下記(一番下)のように説明しています。
結論から言えば、これこそ折原浩によるでっち上げ理論そのもので、ヴェーバーが説明しているゲマインデとはまるで違うものです。
まずはっきりさせておきたいのは、ヴェーバーは「理解社会学のカテゴリー」でも「社会学の根本概念」でもゲマインデについては一言も触れていません。(単語としても全く登場しません。)なのでヴェーバーがゲマインデという言葉を使う時には、ほぼ通常のドイツ人が理解する通常の意味に準拠しています。
折原が「「この宗教的意味における『ゲマインデ』は、経済的/財政的/あるいはそれ以外の政治的な理由でゲゼルシャフト結成される近隣団体とならぶ、ゲマインデの第二の範疇 die zweite Kategorieである」」とするのは、vergesellschaftetを「結成される」と動的に訳していますが、ここの正しい意味は「結成された」です。そもそもゲマインデとは元々ほぼゲマインシャフトと同義語です。特に最初の形態は中世においてアルメンデという共有地を共有するいわゆるマルク共同体のことです。そして歴史的にはそこから始まったゲマインデが次第に統合されたり、特に19世紀のドイツ帝国の成立の中で、国家の下位組織、つまり地方自治体として編成されて、今日の一般的な意味の「地方自治体」になります。それ故にゲマインデという語にはゲマインシャフトとゲゼルシャフトの両方の意味が混在しているのであり、ゲマインシャフトがゲゼルシャフト化されたものを特にゲマインデというのは間違いです。なお折原はここから更に飛躍して、村落ゲマインデ→都市ゲマインデのようなゲゼルシャフト化の進展度による段階があるとしていますが、これもヴェーバーはそんなことは一言も言っていません。この「都市ゲマインデ」という奇妙な用語を理由にして、創文社訳の「宗教社会学」がStadtgemeindeを「都市教団」と正しく訳しているのを「翻訳の体を成していない」などと酷評し、都市ゲマインデと訳すべきだと主張します。しかしそもそも「宗教社会学」の中でなんでそういう宗教と関係の無い人間集団の発展が論じられなければならないのでしょうか?ここはその前にミュンスターが再洗礼派に占拠されて財産共有などの過激な政策が取られたことが紹介されていることからも、都市が一つの宗教の教団と化すことを言っているのであり、創文社訳はまったく正しい訳です。
それから宗教の「教団」としてのゲマインデについても、折原は単なるゲマインシャフトから制定律が作られゲゼルシャフト化されたものがゲマインデとしていますが、これも間違いです。別ページで紹介したように、この意味は元々、ルターがその聖書翻訳の中で、本来「教会」と訳すべきエクレシアというギリシア語に対してGemeindeと訳したことから発生した意味です。なので元々は信者の共同体というゲマインシャフトです。もちろんそれがゲゼルシャフトへ発展することもありますが、地方自治体としてのゲマインデも宗教的な教団の意味のゲマインデもどちらもゲマインシャフトやゲゼルシャフトの一方に限定されるものではない、ということです。
従って「このように、「ゲマインデ」の三範疇は、「旧稿」内部で、あちこちに分散し、バラバラに論じられているようにも見えますが、じつはそうではなく、カテゴリー論文に特有の「ゲゼルシャフト結成」概念によって結びつけられています。」などというのは、全くのデタラメであり、何でもかんでも「理解社会学のカテゴリー」に結び付けて解釈するという悪い癖が如実に現れたものです。ともかくこういうのは単に「折原学」であって「ヴェーバー学」ではありません。
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ところで、この「ゲマインデ」という概念は、宗教的意味の「教団」にかぎられてはいません。引用資料8. には「この宗教的意味における『ゲマインデ』は、経済的/財政的/あるいはそれ以外の政治的な理由でゲゼルシャフト結成される近隣団体とならぶ、ゲマインデの第二の範疇 die zweite Kategorieである」とあります。とすると「第一範疇」とはなにか、ということになりますが、別の箇所 (引用資料9.) には、「ゲマインデ」は、「近隣ゲマインシャフト」を「原生的urwüchsigな基礎」とし、「数多の近隣団体が、それらを包摂する政治的ゲマインシャフト行為と関係づけられて初めて創成される」とあります。また、引用資料12.の「教団」についても、それが被征服民の馴致手段として政治的に利用されるのは、「財政上の利益を確保するために、近隣団体から強制ゲマインデがつくられるのと似て」いる、といわれています。これらの箇所を総合し、引用14., 15.も勘案しますと、「第一範疇」とは、家産制的君侯/君主が「政治的臣民」を「地方団体」に組織して支配する様式で、複数の近隣ゲマインシャフトに「上から」「制定秩序」を「授与」し、貢租などを賦課し、連帯責任を追わせる「強制団体」「ライトゥルギー的義務団体」を指すといえましょう。そして、ヴェーバーは、この意味の「ゲマインデ」が、1.「首長にたいして広範な独立性をもつ地方的な名望家行政」に発展する方向と、逆に、2. 「臣民の総体的/個人的persönlichな家産制的隷属」に帰着する方向とを、理念型的に区別し、そうした分岐の諸条件を索出していました(MWGA, Ⅰ/22-4: 284; WuG: 593; 世良訳Ⅰ: 188)。
さらに、引用資料17., 18.に見られるとおり、「『ゲマインデ』としての都市」、いうなれば「第三範疇」も登場します。これも、複数の都市「近隣ゲマインシャフト」を「原生的な基礎」とし、それらを包摂する都市君侯の政治ゲマインシャフト行為によって創成される「ゲゼルシャフト結成」態で、そう考えれば「ゲマインデ」の規定に合致します。ここでも、そうした「都市ゲマインデ」が、「村落ゲマインデ」と同じく、「臣民の総体的/個人的な家産制的隷属」体制に編入されるか、それとも「西欧中世内陸都市」のように、局地的支配権を都市君侯から「簒奪」し、「自律的かつ自首的なゲゼルシャフト」つまり「自治都市」を結成し、その所産を「身分制[等族]国家」を介して中央君主/国王に採択させ、「近代官僚制」への脱皮を側面から促すか、という理念型的区別が立てられ、そうした分岐の諸条件が論じられます。
このように、「ゲマインデ」の三範疇は、「旧稿」内部で、あちこちに分散し、バラバラに論じられているようにも見えますが、じつはそうではなく、カテゴリー論文に特有の「ゲゼルシャフト結成」概念によって結びつけられています。「『ゲゼルシャフト結成』に媒介された持続的な『近隣-地域ゲマインシャフト形成』」という一般概念を基礎に、「教団」「(村落)共同体」「都市」といった「地域団体形成」の具体的様態が、やはり「西洋文化圏の運命を他の諸文化圏から分けた諸条件の『布置連関』はいかなるものか」という問題設定のもとに、体系的に問われているのです。
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