折原浩訳の問題点(66)

この辺りずっと儀式主義の議論が続いていますが、どうも使われている単語から判断すると、ヴェーバーはカトリックを頭に置いて論じていると思います。その場合、折原訳がSacramentを「聖礼典」(プロテスタント用語)と訳すのは完全にピンボケで、カトリックの用語である「秘蹟」にしないとおかしいです。(単に訳語だけでなく、プロテスタントでは2つだけですが、カトリックでは7つあります。)
それからVorgangを折原訳では「出来事」と訳していますが、私は「先行・優位」と解釈しました。これも先日のBeziehungと同じで、昔の辞書には「先行・優越」が第一の意味として出ていますが、新しい辞書は「経過」が先に来ています。この経過は本来のこの語の意味ではなく、後から出来た意味です。ChatGPTはまたも「経過」説を言い張りましたが、グリム辞書のコピーを貼り付けたら納得しました。なお、創文社訳の「事象」もおかしな訳です。

Ihr typischer Sinn ist die Spendung von »Sakramentsgnade«: Erlösung von Schuld durch die Heiligkeit der Manipulation als solcher, also durch einen Vorgang, welcher die Tendenz jeder Magie teilt, aus dem Alltagsleben herauszufallen und dieses nicht zu beeinflussen.

折原訳
類型論上の意味は「聖礼典恩恵」の分与にある。そこで、罪からの救済が達成されるのは、所作そのものの神聖性によって、ということはつまり、どんな魔術とも共通に、日常生活から離脱させ、日常生活には影響をおよぼさない、そういう傾向をそなえた出来事によって、である。

丸山訳
そういった秘教的礼拝の意義とは、「秘蹟の恩寵」の授与である:つまり[秘蹟の儀式においての]所作の神聖さによっての罪からの救済、つまり全ての魔術が共有する傾向である、ある種の優位な位置に立つことによる救済で、日常生活から外へ連れ出し、そしてその日常生活には何も影響を与えないということである。

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