折原訳を読んでいると、Vergesellschaftungにしばしば「ゲゼルシャフト結成」とか「ゲゼルシャフト結成態」のような訳が当てられています。要するに折原センセはこの2つを一種の発展段階、階段状の進化だと捉えているんだと思います。しかし例えば「中世商事会社史」(中世合名・合資会社成立史)に、フィレンツェのアルベルティ家の遺産分割の話が出て来ますが、父親の死後、相続人である兄弟の間で契約が結ばれて家ゲマインシャフトがゲゼルシャフト化されるんですが、実はこの契約は父親の死後十数年経ってからです。それでその契約で確かに法律的にはその時点がゲゼルシャフト(一種の合名会社)の成立ということになりますが、社会学的に見たゲゼルシャフトの形成はそのようにある一点で突然変化したのではなく、既に長い年月をかけて、費用の分担、ファミリービジネスの収益の分割といったゲゼルシャフト化が段階的に進展し、最後に契約という形になったのだと思います。
たまたま今日訳していた宗教ゲマインシャフテンの箇所に次のような記述がありました。「そういった宗教は常に実践的な合理主義を合理的な行為を次のようにまで高める、という意味で要求していた。それは外面的な生活実践の方法論的な体系化であり、さらには、それが修行僧のゲマインシャフトであれ神政政治であれ、地上の諸秩序を合理的に事物化しゲゼルシャフト化するという意味である。」
ここで、修行僧のゲマインシャフトがゲゼルシャフト化されるは分かりましたが、神政政治がゲゼルシャフト化っていう意味が最初良くわかりませんでした。しかし法社会学の「カノン法」の所の記述によれば、ローマ教会のカノン法を世俗法とは上手く分離した形でそれ自体の合理化を進めた、と評価している一方で神政政治をヴェーバーは「混ぜ合わせ」と描写しています。神政政治はそれ自体には既にある程度のゲゼルシャフト化の過程がもちろん含まれていますが、ヴェーバーはそれをまだ十分なゲゼルシャフト化が進んでいないとして、ここを書いているのだと思います。折原訳はここを「修道士ゲマインシャフトの秩序であれ、神政政治体制の秩序であれ、そうした秩序――の合理的な [脱即人的・即物的]事象化とゲゼルシャフト結成の強化、である。」と「ゲゼルシャフト結成」と訳していて、この訳だとそういう含意が十分に伝わりません。前にも、宗教ゲマインデである行為が持続して何度も行われることで実質的にゲゼルシャフト化される、といった記述が出てきましたが、ここでもやはりゲマインシャフト→ゲゼルシャフトの間は流動的な進化であると考えられています。