折原浩訳の問題点(26)

ここも折原訳の「雑さ」が良く出ています。ほぼ全ての訳文に誤訳・不適切訳があるということをご理解いただけると思います。

(1) Pistikerはグノーシス主義の重要な概念で、グノーシス(叡智)を理解しないでただ信仰だけの人のこと。「信心家」ではそういう意味がまったく伝わらない。
(2) 「心の貧しい人」→「人々」、ここはいわゆる山上の垂訓の引用であり、元が人々だし、また文法的にも複数形なのは明らか。
(3) 「霊」→「聖霊、精霊」、単に「霊」では誰の霊かが分からない。
(4) 「心理学的」→「心理的」、これは2回目の誤訳。
(5) 「彼岸」→「来世」、安易に仏教用語を使うべきではない。
(6) 「貶価」→既に指摘済みだが、誰かの造語で国語辞書にはない表現。

Daß die gnostische Degradation der »Pistiker« abgelehnt wurde, daß die »Armen am Geist« die pneumatisch Begnadeten, und nicht die »Wissenden« die exemplarischen Christen sind, daß der Erlösungsweg nicht über das geschulte Wissen, weder vom Gesetz noch von den kosmischen und psychologischen Gründen des Lebens und Leidens, noch von den Bedingungen des Lebens in der Welt, noch von den geheimen Bedeutungen von Riten, noch von den Zukunftsschicksalen der Seele im Jenseits führt, — dies, und der Umstand, daß ein ziemlich wesentlicher Teil der inneren Kirchengeschichte der alten Christenheit einschließlich der Dogmenbildung, die Selbstbehauptung gegen den Intellektualismus in allen seinen Formen darstellt, ist dem Christentum charakteristisch eigen.

折原訳
「信心家」にたいするグノーシス派の貶価が拒否されたこと、「心の貧しい人」こそ、霊の恩寵に恵まれているのであって、「知者」が模範的なキリスト者ではないということ、また、救済に通じる道は、律法についてであれ、生活と苦悩の宇宙的また心理学的な根拠についてであれ、現世における生活の諸条件についてであれ、儀礼の秘教的な意義についてであれ、彼岸において霊魂がたどる未来の運命についてであれ、およそなにか知識を習得することによって開かれるのではないということ、これに加えては、古代キリスト教内部の教会史のかなり本質的な部分が、教義の形成も含めて、あらゆる形態の知性主義に対抗する自己主張をなしていること、――こうした諸点が、キリスト教に固有の特徴的性格を示している。

丸山訳
グノーシス主義的な「単なる信者[Pistiker]注)」の低い扱いが拒絶されたこと、「心の貧しい人々」が聖霊によって恵みを受けた人々であり、「知者達」が模範的なキリスト教徒ではないこと、そして救いに至る道は、学習によって得られる次のような知識によって到達するのではなく、例えば律法についてでもなく、生と苦しみについての宇宙的・心理的な理由についてでもなく、更には現世における生の諸条件についてでもなく、儀式の秘められた意味についてでもなく、来世においての魂の未来の運命についてでもなく、ということは、--これらと、初期キリスト教においての教義の形成を含めて、内部での教会史のかなり本質的な部分が、全ての形態の主知主義に対抗して自己主張していることは、キリスト教にとって固有の特徴となっている。

注)グノーシス主義では「グノーシス(叡智)」を理解しているプニューマテコイと呼ばれる精神的エリートとただ素朴な信仰(ピスティス)だけを持っているプシキコイが厳密に区別され、後者は低く見られた。

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