折原浩訳の問題点(184)

ここも間違い探しのようなひどい訳。
(1)「世俗内的禁欲のみである。」→「ただ現世内禁欲の職業倫理のみである。」
(2)「それ相応の問題機制が潜んではいる。」→「そういった留保事項にはそれ相応の問題がある」
(3)[世俗内的禁欲による内面的適合の方向ばかりではなく]→そんなことは書いていない。
(4)Zu….,…, gehört という構文を理解していない。暴力行使の合理化の事実上の諸結果に非合理性への逃避が随伴する、と言っているのにそういう訳にまるでなっていない。
(5)「いたるところで通例、脱政治的感情の非合理性への逃避が強められる。」→「そういった暴力行使の合理化の諸結果はwo以下の場合は至る所で通例出てくるものであるが」であり、最後の文にかかっているのではない。
(6)国民「国家」→合理的国家
(7)[そういう英雄が自分たちで秩序を定立・制定し、互いに準拠し合うという]→これもそんなことは書いていない。
(8)「即人主義」→繰り返しになるけど「人格主義」。

原文
Wirklich innerlich adäquat ist der Versachlichung der Gewaltherrschaft — mit ihren rationalen ethischen Vorbehalten, in welchen die Problematik steckt — nur die Berufsethik der innerweltlichen Askese. Zu den tatsächlichen Folgen der Gewaltsamkeitsrationalisierung aber, die, in verschieden starkem Grade und auch in der Art unterschiedlich sich äußernd, überall da aufzutreten pflegten, wo jene Hinwegentwicklung der Gewaltsamkeit von der personalistischen Helden- und Gesellschaftsgesinnung zum rationalen »Staat« sich entfaltete, gehört die gesteigerte Flucht in die Irrationalitäten des apolitischen Gefühls.

折原訳
さて、暴力支配の即物化に真に内面的に適合できるのは、世俗内的禁欲のみである。しかしそれも、合理的かつ倫理的な留保をともなっており、そうした留保には、それ相応の問題機制が潜んではいる。とはいえ、暴力機構の合理化から生まれる諸結果は、事実上[世俗内的禁欲による内面的適合の方向ばかりではなく]、さまざまな強度で、さまざまに異なる性質を帯びて現れてくる。そして、そうした事実上の諸結果のひとつとして、暴力支配が、即人主義的な英雄の心意と [そういう英雄が自分たちで秩序を定立・制定し、互いに準拠し合うという]ゲゼルシャフト的な心意とから離れて、国民「国家」に発展を遂げるところでは、いたるところで通例、脱政治的感情の非合理性への逃避が強められる。

丸山訳
実際に権力的支配の物化に内面で適合するのは--その支配の合理的・倫理的な留保事項についての適合であり、そういった留保事項にはそれ相応の問題があるが--ただ現世内禁欲の職業倫理のみである。暴力行使の合理化の事実上の諸結果についてはしかし、それらは様々な強さで、そしてまた様々な形で出て来る、人格主義的な英雄の心情とゲゼルシャフトの心情においての暴力性が、合理的な「国家」にまで進むというあの発展が起きたところでは、どこでもしばしば登場してくるものであるが、その暴力行使の諸結果には、非政治的感情の非合理性への逃避ということが随伴してくるのである。

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