折原浩訳の問題点(183)

ここは、創文社訳も折原訳もさっぱり意味が分からなかったので、生成AIの助けを借りました。
根本的な間違いは、eigenenを「(個々の)祭司自身の」と解釈していることで、これは「カトリック教会自身の」です。それから「権力への利害関心を救い出す」もさっぱり意味不明の訳です。これはカトリック教会が、自身の祭司制度などの利害を、近代社会の中で他の政治団体などと同じように、保全しようとする、ことです。
それから細かいことですが、gleichen und ähnlichenは「同じか、あるいは類似の」ではなく、同じ手段と類似の手段の両方です。この訳者、こういう所が本当に雑です。他の箇所で逆にoderをundにして誤訳している例もあります。
さらにはInteresseが多くの場合「利害関心」と訳されていますが、「利害」か「関心」かどちらかであり、「利害関心」みたいな訳は読む人にとって迷惑この上ないです。

原文
— Die Anpassungen nun, welche die heutige kirchliche Ethik dieser Situation gegenüber vornimmt, sind hier nicht näher zu schildern. Im wesentlichen bedeuten sie ein Sichabfinden damit von Fall zu Fall und, namentlich soweit die katholische Kirche in Betracht kommt, vor allem eine Salvierung der eigenen, ebenfalls zunehmend zur »Kirchenräson« versachlichten priesterlichen Machtinteressen mit den gleichen und ähnlichen modernen Mitteln, wie sie dies weltliche Machtstreben benützt.

折原訳
――さて、今日の教会倫理が、この状況に対して企てるさまざまな適応については、ここで逐一採り挙げて詳論する必要はあるまい。それらは本質上、こうした状況にたいするその場その場の妥協を意味している。とくにカトリック教会を考えるかぎりでは、そうした適応はとりわけ、ここでもまた次第に「教会理性」に即物化されていく祭司自身の権力への利害関心を、世俗的な権力追求が用いるのと同じか、あるいは類似の、近代的手段によって、救い出そうとする企てを意味する。

丸山訳
--今日の教会倫理がこういった状況に対して行おうとする様々な適応については、ここではより詳細に論じることはしない。本質的にはそういった諸適応が意味するのは、ケースバイケースでの状況との妥協であり、特にカトリック教会について考慮する限りでは取り分け、カトリック教会自身の、同様に次第に「教会理性」へという形に物化されてゆく祭司制度の権力的利害を[政治の場合と]同じ近代的手段とまた類似のそれによって保全することであり、そういった手段はこのような世俗的な権力志向にて用いられるものと同様である。

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