これで8月は31回目の問題点指摘で、既に8月で1件/1日以上となっています。
womöglichは「おそらくは、ひょっとしたら」ぐらいで「まかり間違っても~ない」といった強い意味はありません。
創文社訳が「--そう考える人がいるかもしれないが--~ない」と訳している方がはるかに適切です。これも辞書を引けば簡単に分かることですが、この訳者は多くの場合辞書をきちんと調べないで思い込みだけで訳しています。
原文
Nicht aus »sozialpolitischen« Interessen, womöglich aus »proletarischen« Instinkten heraus, sondern gerade aus dem völligen Wegfall dieser Interessen erwuchs die Macht der apolitischen christlichen Liebesreligion ebenso wie die zunehmende Bedeutung aller Erlösungslehren und Gemeindereligiositäten seit dem ersten und zweiten Jahrhundert der Kaiserzeit überhaupt.
Es sind dabei keineswegs nur, oft nicht einmal vorwiegend, die beherrschten Schichten und ihr moralistischer Sklavenaufstand, sondern vor allem die politisch desinteressierten, weil einflußlosen oder degoutierten Schichten der Gebildeten, welche Träger speziell antipolitischer Erlösungsreligiositäten werden.
折原訳
キリスト教のような非政治的な愛の宗教の勢力が成長を遂げたのは、「社会政策的な」利害関心からではなく、まかり間違っても「プロレタリア的」本能からではなく、むしろ正反対に、そうした利害関心の完全な欠落からである。また、ローマ帝政時代の紀元一、二世紀以降、あらゆる救済教説やゲマインデ宗教性の意義が一般に増大したのも、同様の理由による。そのさい、そうした独特の反政治的救済宗教性の担い手となるのは、被支配者層と彼らの道徳主義的奴隷叛乱のみではけっしてなく、しばしば彼らが主要な担い手になるということですらない。そうした宗教性の担い手となるのはむしろ、政治的影響力を失ったか、嫌気がさしたか、いずれにせよ政治的に無関心となった教養社会層である。
丸山訳
「社会政治的な」利害からではなく、また[そう考える人もいるであろうが]おそらくは「プロレタリア的な」本能からではもなく、まさに完全にこういった利害を禁止することから、非政治的なキリスト教的な愛の宗教の力が成長して来たのであり、それとまさに同様に全ての救済説と教団信仰の増大する意味も一般的に、ローマの帝政期である1・2世紀以来そうであった。その場合に、反政治的な救済諸信仰の担い手となるのは、被支配層とその道徳的な奴隷反乱だけでは全くなく、また多くの場合それらは一度も主要なものであったこともなく、何よりも担い手になったのは政治に無関心な、何故なら影響力を持っていなかったか、あるいは政治に嫌気が差した教養層であった。