折原浩訳の問題点(33)

毎日、必ずという確率で折原誤訳を発見します。これ本当に100回行きそうです。折原誤訳100物語ですね。(笑)
ついでに全集の注も批判しました。

(1) [神を信奉する人々のゲマインデ]ってほぼ全ての宗教にある話であり、ブラフモ・サマージの説明にまったくなっていません。
(2) インドにおける「ブラフモ・サマージとペルシア的啓蒙主義」なのに、インドの「ブラフマ・サマージ」とペルシアの啓蒙主義と訳しています。17~19世紀の話をしているのに、ペルシア!(「ペルシア的啓蒙主義」の方は私が訳注に記したように、ここで挙げるような話かについては疑問がありますが。)
(3) ヴェーバーは ist で断定しているのに、勝手に「であろう」と推測に変更。しかもなんで普通に訳さないで主語と述語をひっくり返すのか。私は可能な限り、元の語順を保った訳にすべきと考えて、出来るだけそうしています。だってネイティブは前から順に読んで理解するのですから。

Ein Produkt der Berührung mit europäischer Kultur ist andererseits die hinduistische (Brahma-Samaj) und persische Aufklärung in Indien.

折原訳
他方、インドにおけるヒンドゥー教 (ブラフマ・サマージ [神を信奉する人々のゲマインデ]) およびペルシアの啓蒙主義は、ヨーロッパ文化との接触の所産であろう。

丸山訳
そういったヨーロッパ文化との接触の産物であるのは、他方でヒンドゥー教の(ブラフモ・サマージ[1])とペルシア的な啓蒙主義[2] である。

[1] 19世紀のヒンドゥー教改革運動の一つで、名称は「ブラフマンの元に参集した人々」の意味。純粋なキリスト教とヒンドゥー教には一致点があり、そこに普遍性があるとして古代のヒンドゥー教の復興を目指した運動。
[2] 全集の注によればムガル帝国のアクバル帝の宗教融和政策のこととなっているが、それは西欧の影響は非常に少ないし(例外的にイエズス会と接触したりはしているが)、また時代的にも16世紀であり合わない。私見ではアクバル帝ではなく、その子のシャー・ジャハーンないしはダーラー・シコーの時代の話ではないか。シャー・ジャハーンの王妃はペルシア系であるし、ダーラー・シコーはウパニシャッドをペルシア語に訳させたりしているし、イエズス会士やヒンドゥー教の僧侶と議論したりもしている。この全集の注は先のGāthāへの注も含めて、インド関係になると急に信頼性が落ちているように思う。

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