折原浩訳の問題点(187)

ここは上野千鶴子先生が大喜びで問題にしそうな(笑)、女性差別的誤訳。
再度のweil以下の主語のsieはdie irreguläre Erotikなのに、折原センセは「婦女子の本性は」として、「君子の内面的平静を掻き乱してやまない」までも女性のせいにしています。

原文
Für die christliche und indische außerweltliche Askese versteht sich die ablehnende Stellung von selbst. Die mystischen indischen Prophetien der absoluten kontemplativen Weltflucht lehnen natürlich als Voraussetzung der vollen Erlösung jede Sexualbeziehung ab. Aber auch der konfuzianischen Ethik der absoluten Weltanpassung gilt die irreguläre Erotik als minderwertige Irrationalität, weil sie die innere Contenance des Gentleman stört und das Weib ein irrationales, schwer zu regierendes Wesen ist.

折原訳
キリスト教的およびインドの現世外的禁欲にとって、拒否のスタンスは、自明のことである。インドの絶対的な瞑想的遁世の神秘的預言は、当然ながら、十全な救済の前提条件として、いかなる性的関係も拒否する。ところが、儒教倫理の絶対的現世適応にとっても、[婚姻関係によって規制されない]非正規のエロスは、価値に乏しい非合理な所業とみなされる。それというのも、婦女子の本性は、非合理的で、制御し難く、君子の内面的平静を掻き乱してやまない、と見られるからである。

丸山訳
キリスト教とインドの現世外的禁欲にとっては、性愛を拒否する態度は自明なことである。絶対的・瞑想的な現世逃避の神秘主義的なインドの諸予言は、当然のことながら、完全な救済の前提条件として、全ての性的関係を拒絶する。しかし絶対的な現世適合の儒教倫理においても、非合法の性愛は低劣な非合理性と見なされ、その理由はそういった性愛は、士君子の内的な節度を妨げ、女性一般は非合理的で扱いにくい存在であるとされたからである[1]

[1] いわゆる「論語」陽貨第十七の「女子と小人は養い難し」をヴェ-バーが言い換えているもの。

 

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