大した長さじゃない文章で4か所の誤訳・不適切訳です。
ここまで来ると、もうこの訳者はこの論文を訳す十分な能力を持っていないと言えると思います。
(1) 「民衆的敬虔に、刻印を押した。」→「民衆的敬虔を方向付けた」 (超直訳調)
(2) 「分離主義派」→「パリサイ派」 (何故一般に通じない訳にするのか)
(3) 「狭い範囲のゲマインデ」→「厳格に律法を遵守するゲマインデ」(engは「狭い」ではなく、その次の「律法遵守」にかかる。それにパリサイ派は多数派)
(4) 「この種の経営活動」→「この種の活動」(経済的な活動の話ではない)
原文
Dagegen produzierten die Schriftgelehrtenschulen der herodianischen Zeit mit zunehmender innerer Bedrücktheit und Spannung durch die offensichtliche Unabwendbarkeit der Fremdherrschaft eine proletaroide Schicht von Gesetzesinterpreten, welche als seelsorgerische Berater, Prediger und Lehrer in den Synagogen — auch im Sanhedrin saßen Vertreter — die Volksfrömmigkeit der engen gesetzestreuen Gemeindejuden (Chaberim) im Sinne der Peruschim (Pharisaioi) prägten; diese Art des Betriebs geht dann in das Gemeindebeamtentum des Rabbinats der talmudischen Zeit über.
折原訳
それに対して、ヘロデ大王時代の律法学者の諸学派は、異民族による支配がどうしても避けがたいことを悟り、内面的な被圧迫感と緊張がつのるなかで、疑似プロレタリア的社会層に属する律法解釈者を生み出すにいたった。この律法解釈者は、シナゴーグ [ユダヤ教会堂]において霊的司牧に携わる助言者・説教師・教師であり、その代表者はサンヘドリン [高等法院]にも座し、ペルーシーム [分離主義派] の意味で律法に忠実な、狭い範囲のゲマインデに属するユダヤ人 (ハベーリーム) の民衆的敬虔に、刻印を押した。やがて、タルムードの時代には、この種の経営活動が、ゲマインデ官吏としてのラビの手に移される。
丸山訳
これに対してヘロデ王の時代の律法学者の諸派は、誰の目にも明らかな異民族支配が避けがたいという事実によって増大した内面の意気阻喪と緊張感から、ある種の疑似プロレタリア的な律法解釈者の層を生み出すことになった。そういった律法解釈者は、シナゴーグにおいての司牧者的な助言者、説教師、そして教師であり--またサンヘドリンにも代表者として参加し--厳密に律法を遵守するゲマインデに属するユダヤ人(ハヴェリム)のペルシム(パリサイ人)という意味での民衆的な敬虔さを方向付けており;この種類の活動はその後ユダヤ教団においての官吏的な存在となったラビ職に移行している。