折原浩訳の問題点(38)

今日の誤訳は致命的というほどではないですが、日本語としてまったくこなれていないし、原文の意味もきちんと理解していません。

(1)KinderとSorgeが来たら「子供を世話する」以外にはあり得ません。「子に対する気遣い」って変。
(2)gegeben は哲学・数学で言う「所与の」ということ、この場合は生物の本能としての、ぐらいの意味。
(3)hinweisen auf は単に「~を指し示す」ということで、駆動因なんて意味はありません。
(4)「彼方」だけでいいのに(創文社訳)、それに「彼岸」をまたもくっつける。

原文
Die Sorge für die Kinder war überall ein organisch gegebenes Streben, welches über die eigenen persönlichen Interessen auf ein »Jenseits« wenigstens des eigenen Todes hinwies.

折原訳
いずこにおいても、子にたいする気遣いは、生物有機体としての人間個体に与えられたひとつの力であり、個体としての自己の利害関心を越えて、ひとつの「彼岸」少なくとも自分の死の「彼方」に思いを馳せる方向への駆動因である。

丸山訳
子供を世話することは、どこにおいても生物としての本能的な志向であり、それは自分自身の個人的な関心を超えて、少なくとも自分自身の死の向こう側のものを指し示すのである。

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