ここは、まずは冒頭の文の主語、Erで男性名詞を受けていることが示されているのに、折原訳では「それは」。
次に、Saktireligiositätはシャクティ信仰なのに、折原訳では「性力崇拝的宗教性」という一体それ何ですか?という訳。ここに、religiositätと来ると何とかの一つ覚えで「宗教性」と訳す弊害が出ています。大体「性力崇拝的宗教性で性的な陶酔の機能が残っています」って当たり前でトートロジーでしかありません。シャクティ信仰の中に女性原理とか生殖力への崇拝とかありますが、「性力崇拝的宗教性」とするのはあまりにひどいです。
原文
Er behält diese Funktion auch in relativ systematisierter Religiosität gelegentlich ganz direkt und beabsichtigt. So bei der Saktireligiosität in Indien noch fast nach Art der alten Phalluskulte und Riten der die Zeugung (der Menschen, des Viehs, des Samenkorns) beherrschenden sehr verschiedenen Funktionsgottheiten. Teils und häufiger aber ist die erotische Orgie wesentlich ungewollte Folgeerscheinung der durch andere orgiastische Mittel, namentlich Tanz, erzeugten Ekstase.
折原訳
それは、相対的には体系化された宗教性においても、ときとしてまったく直接的また意図的に、この機能を維持している。インドの性力崇拝的宗教性においては、いまなお、古い男根崇拝や、生殖 (人間、家畜、穀物の種) を支配する多種多様な機能神崇拝の儀礼という流儀で、そうした機能が維持されている。ところが、性愛的な狂騒は、別の狂騒手段とくに舞踏によって生み出される陶酔の、もともとは意図されない随伴結果である場合もあり、むしろこのほうがいっそう頻繁である。
丸山訳
こうした性的な陶酔は、相対的に体系化された信仰においてもまた、時としては全く直接的にかつ意図的にこうした働きを保っている。インドのシャクティ信仰においては、未だにほとんど古代の男根崇拝と、生殖(人間の、家畜の、穀種の)を司る非常に多様の機能神の儀式のやり方に従ったそういった働きが残っている。しかしながら部分的には、そしてよりしばしば性愛的なオルギアは、他のオルギア的手段の本質的に望んではいなかった随伴現象であり、その手段とは特に舞踏によって引き起こされたエクスタシーである。