折原浩訳の問題点(155)

今日もまた、デコトラ翻訳。
1.[近隣ゲマインシャフトにおける懇請労働と懇請貸し付けの]などという原文にない補足は不要であるだけでなく、「懇請労働」はこれまで一度も言及されておらず、勝手にこの訳者が足したもの。
2.「即物的に合理的なゲゼルシャフト行為」でKosmos(世界)が訳されていない。
3.最後の文の主語は、Weltであり、「個々の人間同士」ではまったく無い。
やれやれ。

原文
Rationale ökonomische Vergesellschaftung ist immer Versachlichung in diesem Sinn, und einen Kosmos sachlich rationalen Gesellschaftshandelns kann man nicht durch karitative Anforderungen an konkrete Personen beherrschen. Der versachlichte Kosmos des Kapitalismus vollends bietet dafür gar keine Stätte. An ihm scheitern die Anforderungen der religiösen Karitas nicht nur, wie überall im einzelnen, an der Widerspenstigkeit und Unzulänglichkeit der konkreten Personen, sondern sie verlieren ihren Sinn überhaupt. Es tritt der religiösen Ethik eine Welt interpersonaler Beziehungen entgegen, die sich ihren urwüchsigen Normen grundsätzlich gar nicht fügen kann.

折原訳
合理的な経済的ゲゼルシャフト結成は、つねにこの意味における即物化である。即物的に合理的なゲゼルシャフト行為は、具体的な人間への慈善的要請によっては制御できない。ましてや、資本主義の即物化された宇宙には、慈善による制御の余地はまったくない。この宇宙では、宗教的慈善の要求は、個々の場合にいたるところで、具体的な個人の抵抗や力量不足に直面して挫折するばかりではなく、およそその意味を失うのである。いまや個々の人間どうしが、原生的な [近隣ゲマインシャフトにおける懇請労働と懇請貸し付けの]諸規範には原則上まったく適合できない、ある世界をなして、宗教倫理に対立する。

丸山訳
合理的・経済的なゲゼルシャフト形成は、常にこの意味における即物化であり、人はある即物的に合理的なゲゼルシャフト行為の世界を、慈善の考え方に基づく諸要求によって、具体的な各人において、支配することは出来ない。資本主義の即物化された世界は、全くの所、そういう諸要求が入り込む余地を与えない。その世界においては、宗教的な慈善の諸要求は、個々のケースで至る所でそうだったように、単に座礁するだけはなく、具体的な諸個人の[慈善要求への]不服従と[それを行う能力の]不十分さに直面して、またその意義一般を失うのである。個々の人間間の関係の集合からなる現世は宗教的な倫理を拒絶するのであり、そういった現世はその原生的な規範に、原則的にまったく適合することが出来ないのである。

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