今回は新しいパターンで、おそらくはドイツ語は正しく理解しているのに、それを日本語にする時に不適切な誤解を招くものにしてしまっている例。
「最終的には自国の権力保有者も、祭司は承認して」と書くと、誰が読んでも祭司が権力者を承認した、と解釈してしまいますが、そんな筈はありません。というか元は受動態で、「外国の支配者や自国の権力者によって承認された祭司達」です。それを能動態に変え、本人は「祭司「は」」承認して、のつもりなんでしょうが、そもそも他に承認しなかったものがいたなどとも全く書かれていないために、完全におかしな日本語です。
それから「[祭司の]経験とも、結びついて、」の「経験」も原文にはありません。
原文
Und die Domestikation der Massen, welche sowohl Fremdherrschaften (so zuerst systematisch die Perser) wie schließlich auch die eigenen heimischen Gewalthaber den von ihnen anerkannten Priestern zuweisen, gibt, verbunden mit der Eigenart ihrer persönlichen unkriegerischen Tätigkeit und der Erfahrung von der überall besonders intensiven Wirkung religiöser Motive auf Frauen, mit zunehmender Popularisierung der Religion zunehmende Gründe, jene wesentlich femininen Tugenden der Beherrschten als spezifisch religiös zu werten.
折原訳
外国の支配者 (体系的には、まずもってペルシア人) も、最終的には自国の権力保有者も、祭司は承認して[その地位と支配権は保全し]、大衆の馴致(ドメスティカティオン)を指示する。そして、この大衆の馴致[という役柄]が、[一方では]祭司自身の非戦士的な活動の特性とも、[他方では]宗教的諸動機がとりわけ婦人たちに際立って顕著な作用をおよすという[祭司の]経験とも、結びついて、祭司に、上記のとおり本質上女性的な被支配者の徳目を、宗教に特有の徳性として評価する動機を与え、この動機が、宗教の大衆化とともに、ますます強まるのである。
丸山訳
大衆の家畜化を、外国の支配者(つまりまずは組織的には古代ペルシア人[1])と同様に最終的にはまたその民族自身の権力者達もまた、その者達によって承認された祭司達に割当て、そしてそういった家畜化は、祭司達の個人として戦士的ではない活動と、至る所で特別に効果的な女性への宗教的動機の働きかけと結び付いて、その宗教が次第に一般化して行くに連れて、被支配者のそういった本質的に女性的な諸徳性を特別に宗教的に評価する、次第に強まっていく正当化の理由付けも与えるのである。
[1] 古代ペルシアのアケメネス朝のキュロス2世は、バビロン捕囚にあったユダヤ人を解放し、また寛容な統治でユダヤ人の信仰の保持を許した。