折原浩訳の問題点(194)

ここも実に盛大なデコトラ。「仮象への囚われにすぎず」「預言者はこれを拒否せざるをえないからである。」なんてどこにも書いてありません。
また「人間の業」もここでは変で、「人間の作品、作ったもの」です。「これがいつかは表明される」って一体誰が表明するんですか?単に「いつかは現れて来る」ということです。

原文
Vor allem aber wirkt bei der eigentlichen Prophetie zweierlei in antiästhetischer Richtung. Einmal die ihr stets selbstverständliche Ablehnung der Orgiastik und, meist, der Magie. Die ursprünglich magisch bedingt gewesene jüdische Scheu vor dem »Bildnis und Gleichnis« deutet die Prophetie spiritualistisch aus ihrem absolut überweltlichen Gottesbegriff heraus um. Und irgendwann zeigt sich dann die Spannung der zentral ethisch religiösen Orientierung der prophetischen Religion gegen das »Menschenwerk«, die aus dessen, vom Propheten aus gesehen, Scheinerlösungsleistung folgt. Die Spannung ist um so unversöhnlicher, je überweltlicher und gleichzeitig je heiliger der prophetisch verkündete Gott vorgestellt wird.

折原訳
ところが、本来の意味における預言のもとで、反審美的な方向に作用する要因には、つぎの二種類がある。ひとつは、狂騒の拒否、たいていの場合には、魔術の拒否であり、こうした拒否は、預言にとってはつねに自明のことであろう。ユダヤ人の「形像と画像」にたいする嫌悪は、本源的には魔術によって制約されていたが、それを預言者は、彼らの絶対的に現世超越的な神観から、霊性主義的に解釈しなおしている。そのさい、預言者的宗教の中心にある倫理的宗教性への準拠関係から、「人間の業」にたいする緊張が生まれて、これがいつかは表明されることにもなるが、そうなるのも、「人間の業」に救済への寄与を認めるような見地は、預言者から見れば仮象への囚われにすぎず、預言者はこれを拒否せざるをえないからである。この緊張は、預言者の告知する神が、いっそう現世超越的な、同時にいっそう神聖な神として、表象されればされるほど、それだけいっそう非和解的となる。

丸山訳
しかし本来の預言においては、反美学的な方向に作用するのは、次の二つである。まずは預言については常に自明のことであるオルギアと、そして多くの場合魔術の拒否である。根源的には魔術的に条件付けられていたユダヤ人の「[神の]似姿」への嫌悪を、預言は聖霊主義的に、絶対的な超現世的な神の概念からそれを新たに解釈している。そして[二つ目として]いつの日にか現れて来るのは、預言的宗教の中心においての倫理的な敬虔さへの志向においての、「人間の作品」に対しての緊張関係で、それは、預言者から見た場合、「人間の作品」の見せかけだけの救済の働きから出てくるのである。そういった緊張関係は、預言として告げられた神が、より超現世的で同時により神聖なものとされればされるほど、それだけいっそう宥和することが出来ないものとなる。

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