折原浩訳の問題点(165)

ここはもう、誤訳検定みたいなのがあったら、格好の問題になるような誤訳群です。
(1)最初の文のbehaupteは主張ではなく、放棄していなかった、無くしてはいなかった、ということ。しかも過去完了なのに「しつづけていた」はない。
(2)「倫理的諸宗教の無数の慈善施設」の慈善施設は、単に慈善一般ということ。慈善施設に限定する理由がない。
(3)「貧民救済の焚き出し回数が日毎に決められる」→全く意味不明。これは要するに貧民が100人来ようが200人来ようが配食の数が最初から決まっているということ。
(4)「炊き出し」は非常時の場合に使う語であって、毎日貧民に食事を配るのに使うのはおかしい。
(5)「公式の焚き出し日が確定される」→「確定される」は原文にない。おそらく中国もビサンチンと同様に公的な配食日が決められていて、決められた数だけ配食されるという意味。
(6)「傾向を免れがたい」→そんなこと書いてありません、~にしてしまった、ということ。
(7)「直截」は「ストレートに、ずけずけと」という意味であり、direktの訳としてはおかしい。

原文
Aber seine Bedeutung als gutes Werk hatte das planlose Almosen behauptet. Die zahllosen karitativen Stiftungen aller ethischen Religionen haben der Sache nach ebenfalls entweder zu einer direkten Züchtung des Bettels geführt und überdies, wie etwa in der fixierten Zahl der täglichen Armensuppen in byzantinischen Klosterstiftungen und in dem chinesischen offiziellen Suppentage, die Karitas zu einer rein rituellen Geste werden lassen.

折原訳
ところが、無計画な喜捨も、善行としての意義を保持し、主張しつづけていた。あらゆる倫理的諸宗教の無数の慈善施設は、いずれの場合にも実質上、直截に物乞いを育成することになるか、あるいはまた、たとえばビザンチンの修道院施設で、貧民救済の焚き出し回数が日毎に決められるとか、あるいは中国における公式の焚き出し日が確定されるとか、慈善を純然たる儀礼的ジェスチャーに化せしめる傾向を免れがたい。

丸山訳
しかしながら無計画な慈善は、良き業としての意味を無くしてはいなかった。全ての倫理的な諸宗教での無数の慈善としての寄付は、その本質においては同様に、あるいは直接的に乞食の数を増やすことにつながり、かつまた、例えばビサンチンでの修道院の救貧施設においての毎日の貧民への食料配給の固定された数や、中国においての公的な配食日においてのように、慈善がある儀礼上のポーズにしてしまっていた。

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