ここの折原訳、耕作兄弟団って何?というのと、ゲマインデ仲間という訳は、この論文ではゲマインデが地方団体と教団という2つの意味で使われている以上、どちらとも取れるような曖昧な訳は困りますね。ここは訳注にも書きましたが、祭儀の他の参加者は遮断して扉を閉めた中で神官達のみが踊ったということ。折原訳だと地方団体の他の成員を遠ざけてみたいに読めてしまいますし、「門扉」もおかしいです。要はどういう祭なのか自分で調べていないからこういう適当な訳になる訳です。
原文
Kultischer Tanz findet sich nur bei den ältesten Priesterkollegien und im eigentlichen Sinne des Tanzreigens nur bei den fratres arvales, und zwar charakteristischerweise hinter verschlossenen Türen nach Entfernung der Gemeinde.
折原訳
祭儀としての舞踏は、最古の祭司仲間のもとではおこなわれていたが、輪舞という本来の意味における舞踏は、もっぱら「耕作兄弟団fratres arvales」 仲間にかぎり、しかも特徴的なことに、門扉を閉ざしてゲマインデ仲間を遠ざけた後に、実施された。
丸山訳
祭儀での舞踏はただ最古の祭司団体においてのみ見出されるが、野外での輪舞の本来の意味ではただ、fratres arvales[1] [アルウァーレスの兄弟団]においてのみ、それも特徴的なこととして、扉を閉ざして他の祭礼参列者を遠ざけた中で行われた。
[1] 古代ローマで豊穣の神への祭典を12人の高位の神官が中心になって行ったもの。共和政期には廃れていたがアウグストゥスがそれを復活させた。豊穣の神デア・ディアに捧げる祭の第二日に神殿内で儀礼が行われ、その後閉じた扉の背後で、神官達のみが厳粛な踊り、三拍子の踊りを踊った後、頌歌を歌った。