折原センセの訳は、使うべきでない所で「彼岸・此岸」や「(因果)応報」のような仏教用語を多用しているのですが、逆に使わなければいけない(輪廻転生)所であっさり「再生」と訳していて、まったくセンスというものが感じられません。ここではヒンドゥー教徒や仏教徒と言っているのですからキリスト教にもある単なる「再生」でないのは明らかです。
Seine fast völlige Abwesenheit, und ebenso das Fehlen fast aller sozialrevolutionären, religiösen Ethik in der Religiosität des frommen Hindu und des buddhistischen Asiaten erklärt sich aus der Art der Wiedergeburtstheodizee; die Ordnung der Kaste als solche bleibt ewig und ist absolut gerecht.
折原訳
ところで、敬虔なヒンドゥー教徒とアジア人仏教徒の宗教性には、そうした神義論がほとんどまったくなく、これに即応して、ほとんどあらゆる社会革命的な宗教倫理も欠落している。それは、再生の神義論の性質から説明がつく。すなわち、そこでは、カースト秩序そのもの永遠で、しかも絶対に公正である、と説かれている。
丸山訳
敬虔なヒンドゥー教徒や仏教徒であるアジア人において、そうした神義論がほぼ完全に欠如していたこと、そして社会革命的な宗教倫理も同じく完全に欠如していたということは、輪廻転生の神義論のあり方から説明することが出来る:つまりはカーストの秩序はそのまま永遠に続くのであり、かつ絶対的に正当である、ということである。