またも「開悟」などという安易な仏教用語の使用。ここでのErleuchtungというのは文字通り「光を受けること」、つまり神の光を感じてその啓示を受けることであり、仏教的な「悟りを開く」とはまったく異なります。あまりにも無神経な訳です。この啓示的神秘主義とはいわゆる Unio Mystica(神秘的合一)のことです。最後の eigen も訳していません。ついでにstammendenは「~に由来する」じゃなくて「~の出身の」です。「立ち入って分析する」の「立ち入って」も原文にはなくただ「後で分析することになる」だけです。こんな短い文で4箇所も誤訳・訳し漏れしている訳です。(ついでにこの「開悟」は元々創文社訳のもの。「翻訳の体を成していない」と批判する割りには、創文社訳を十分検討しないでそのまま採用している訳です。)
Der vornehmen, aus den privilegierten Klassen stammenden Erlösungssehnsucht ist generell die Disposition für die, mit spezifisch intellektualistischer Heilsqualifikation verknüpfte, später zu analysierende »Erleuchtungs«-Mystik eigen.
折原訳
特権づけられた階級に由来する貴族的な救済憧憬は、知性主義に特有の救済への資質と結びついて神秘的「開悟」にいたる傾向をそなえているが、これについては、後段で 立ち入って分析するとしよう。
丸山訳
プラスの特権を与えられた階級の出自である貴族の救済に対する憧れは一般に、特殊な形での主知主義的な救済への資格という考え方と結び付いた、後で分析することになる特有の「啓示」的神秘主義に向かう傾向を持っている。
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ついでに次の文も。
ここでも、psychologischerと来たら「心理学」だと思っているし、Sinnlichは感性的なことではなく、感覚に関わること、つまり官能的・肉欲的なこと、という意味です。もう次から次に誤訳が出てくるのがご理解いただけると思います。「貶価(へんか)」も手元の国語辞書(広辞苑クラス含む)には載っていない語彙です。誰かの翻訳語としての造語でしょう。(中国語としては「値切る」こと。)しかもそれを「厳しく貶価される」などと受動態で訳したら益々意味不明です。(念のため青空文庫も検索してみましたが、「貶価(へんか)」はヒット0。完全に一部のアカデミズムでのいわゆるJargon的な訳語です。)
Das ergibt eine starke Deklassierung des Naturhaften, Körperlichen, Sinnlichen, als — nach psychologischer Erfahrung — einer Versuchung zur Ablenkung von diesem spezifischen Heilsweg.
折原訳
そこでは、自然なもの・身体的なもの・感性的なものが、心理学的経験に照らして、人をこの独特の救済道から逸らせる誘惑として、厳しく貶価される。
丸山訳
そこから生じるのは、本能的なこと、身体的なこと、肉欲的なものを、--心的な経験として--この特殊な意味での救済に至る道から逸脱させる誘惑として非常に低く評価することである。