折原浩訳の問題点(164)

最後のイスラム教でのdie Armensteuerとは、いわゆるザカートと呼ばれるイスラム教での5つの戒律の一つです。ムハンマドの時代からあるものなので、折原訳での「導入」は原文にもないものを勝手に補っているもので、間違いです。またザカートは義務化された喜捨であり、税金とは違います。ドイツ語のdie ArmensteuerもSteuerが入っていますが、税金ではなく貧者への支援金のことです。
また「なるほど~てはいた。」と訳していますが、そう訳すとカルヴァンの慈善否定と同じような動きがあった、という風に読めてしまいます。カルヴァンの慈善否定と慈善の合理化・体系化は似て非なるものであり、むしろ対立するものです。

原文
Theoretisch ist dies die Leistung des Salmasius. Vor allem vernichtete aber ganz allgemein der Calvinismus die überkommenen Formen der Karitas. Das planlose Almosen war das erste, was er beseitigte. Allerdings war schon seit der Einführung fester Normen für die Verteilung der Gelder des Bischofs in der späteren Kirche und dann durch die Einrichtung des mittelalterlichen Spitals der Weg zur Systematisierung der Karitas betreten, wie im Islam die Armensteuer eine rationale Zentralisation bedeutet hatte.

折原訳
これは、理論上は、サルマシウスの業績 である。ところが、カルヴィニズムは、慈善の伝来の諸形式を、とくに全面的に廃絶した。無計画な喜捨こそ、カルヴィニズムが排除した第一のものであった。なるほど、慈善の体系化への道は、中世後期の教会で、司教による金銭配分に確定的な規範が導入されて以来、その後やがては中世救貧院の設立以来、すでに歩み始められてはいた。イスラムにおいても、貧民救済税の導入は、慈善の合理的集中化を意味していた。

丸山訳
このことは、サルマシウス[1] の業績である。しかし取り分けカルヴィニズムは、慈善の伝来の諸型式を、一括して無効とした。無計画な慈善は、彼が真っ先に廃止したものである。もちろん既に[中世の]後期の教会で司教による資金の分配についての確固たる規範が導入されて以来、そして次に中世での救貧院の設立によって、慈善の体系化への道が開かれたのであり、それはイスラム教においての義務的な喜捨による貧民の支援[ザカート[2]]が合理的な慈善の集中化を意味していたのと同じである。

[1] Claudius Salmasius、1588~1653年、フランスの古典学者かつ法律家。1630年のDe usuris liberとそれに続く一連の文書で、貨幣はそれ自体の経済的価値があるのでその対価としての利子は正当であると論じ、また利子付き貸し出しを自由化した方が利率が下がるとも論じた。その論拠として古代ローマでは利子付き貸し出しが広く行われており、利子を取ることが自然法に反していないと論じた。

[2] イスラム教で一定以上の財産を持つ者に課せられる義務的な喜捨のこと。ヴェーバーはArmensteuerと税金のようにドイツ語で表現しているが、税金そのものではない。

 

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