ここも経済・金融のことが良く分かっていない例。原文にKreditとしか書いてないのに勝手に「信用貸し」にしてしまっています。「信用貸し」は一般的に無担保融資のこと。ここでは単なる「信用供与」ということです。
それから、教会にモンテ・ディ・ピエタによる貧者への融資が非常な暴利として忌避された、というのは歴史的事実に反し、そういう貧者への融資が低利で行われている一方で、ユダヤ人などによる商業者への高利融資が非難された、ということだと思います。モンテ・ディ・ピエタ自体の利子は公会議によって公認されています。
原文
Das Zinsverbot selbst wurde vom Protestantismus, speziell vom asketischen Protestantismus, auf Fälle konkreter Lieblosigkeit beschränkt. Der Zins wurde jetzt gerade da, wo ihn die Kirche selbst in den Montes pietatis faktisch geduldet hatte: bei Kredit an die Armen, als liebloser Wucher perhorresziert, — die Juden sowohl wie die christliche Geschäftswelt empfanden seit langem deren Konkurrenz als lästig, — dagegen wurde er als eine Form der Teilnahme des Kapitalgebers an den mit geliehenem Gelde gemachten Geschäftsprofit und überhaupt für den Kredit an die Mächtigen und Reichen (politischer Kredit an Fürsten) legitimiert.
折原訳
利子禁止令自体は、プロテスタンティズム、とくに禁欲的プロテスタンティズムにおいては、具体的に非情な事態を引き起こす場合にかぎって適用された。いまや利子は、かつて教会自体がモンテス・ピエターティスという形で事実上容認していた、貧者への融資にかんして、非情な暴利として忌避された。――ユダヤ人およびキリスト教徒の実業界も、長らく教会との競合を、煩わしいと感得してはいた。――それに対して、いまや利子は、貸与された貨幣をもって生み出される事業利得に、当の貸与者が与る形式として、また、一般に有力者および富者にたいする信用貸し(王侯への政治的信用貸し)として、正当化された。
丸山訳
利子禁止それ自体は、プロテスタンティズムによって、特に禁欲的なプロテスタンティズムによって、利子を取ることが具体的に冷酷な場合にのみ限定して適用された。利子は今やまさに、教会自身がモンテ・ディ・ピエタの制度において貧者に対する信用供与という形で事実上許容していたが、それでも冷酷な高利貸しとして嫌悪されていた状況において、--ユダヤ人と同様キリスト教の商業界も、かなり前から教会の命令との競合を煩わしいと感じていたのであるが--そういった状況に対して、資本供与者の、貸与された資金がもたらす事業収益へ与ることの一形態として、そして一般に諸権力者と富者への信用(世俗の高位者への政治的信用供与)に対して正当化されたのである。