まず折原訳は、um so + 比較級、als A、als B (AとBの場合はそれだけいっそう~になる)を正しく訳しておらず、「つぎの事情から」と単純な因果関係に訳している間違い。
また、 der Unterwerfung unter die Fügung des ethischen Gottes und der Priester selbst の所のFügungは「服従」と「摂理」の意味がありますが、「摂理」とするとPriesterにもかかるので「祭司達自身の摂理」となりおかしい。なのでここは神と祭司自身に「服従し屈服すること」と訳すのが自然です。「祭司達自身が定めるところ」は意味不明です。
さらには「不正にたいする弱腰の譲歩と寛容」も変。「不正に対しての好意的な許容と寛大さ」です。
原文
Die Priesterschaft mußte die spezifischen Tugenden dieser Schichten um so exklusiver rezipieren, als diese: Einfachheit, geduldiges Sichschicken in die Not, demütige Hinnahme der gegebenen Autorität, freundliches Verzeihen und Nachgiebigkeit gegenüber dem Unrecht, gerade auch diejenigen Tugenden waren, welche der Unterwerfung unter die Fügung des ethischen Gottes und der Priester selbst zugute kamen, und als sie alle ferner in gewissem Maß Komplementärtugenden der religiösen Grundtugend der Mächtigen: der großmütigen Karitas, darstellten, und als solche von den patriarchalen Nothelfern selbst bei den von ihnen Unterstützten erwartet und gewünscht werden.
折原訳
祭司層は、そうした社会層に特有の、質朴さ・困窮への忍耐強い順応・既成の権威にたいする謙虚な献身・不正にたいする弱腰の譲歩と寛容といった諸徳性を、つぎの事情から、それだけ排他的に受け入れざるをえなかった。すなわち、とりわけそれらの徳目が、倫理的な神と祭司自身の定めるところにたいする従順な服従を助け、さらにはそれらが全て、有力者の宗教上の基本徳目としての寛大な慈悲をある程度補完し、家父長制的な救難援助者自身も、被保護者に期待し、願わしいと見る徳目であった、という事情である。
丸山訳
祭司層は、この社会諸層の様々な特別な徳性を、つまりこれらの社会層の、単純さ、忍耐強い困窮への順応、所与の権威の従順な甘受、不正に対しての好意的な許容と寛大さ、そしてそれらはまたまさに倫理的な神と祭司自身への屈服・服従に役に立つ諸徳性であった場合には、そういったものとしての諸徳性をそれだけいっそう選択の余地なく受け入れざるを得なかったのである。そしてさらにはそういった諸特性の全てをある程度まで有力者の宗教的な基本徳性:気前のよい慈善、を補完するものとして位置付けられ、そしてそう言った諸徳性自身が、そういった有力者達によって保護された者達について、家父長制的な緊急時の援助者達自身によって期待され望まれる場合もそうである。