折原浩訳の問題点(174)

「植民者列強」って一体どういう意味ですか?言うまでもなく「植民地列強」です。この方、当時のアメリカで多数の「植民地」が作られたことをまったく分かっていません。
また、ヴェーバーが書いているのそのままのクエーカー称賛ですが、実際には私が訳注に書いたように、非常にずるいやり方でネイティブ・アメリカンから土地を奪っています。それから未だに「インディアン」って書く人いるんですね。「原住者インディアン」って更にひどいような。(笑)

原文
Selbständige politische Bildungen auf einer nicht schlechthin anarchistischen, aber prinzipiell pazifistischen Grundlage haben existiert. Die wichtigste war das Quäkergemeinwesen in Pennsylvanien, dem es zwei Menschenalter lang tatsächlich gelang, im Gegensatz zu allen Nachbarkolonien, ohne Gewaltsamkeit gegen die Indianer auszukommen und zu prosperieren. Bis zuerst die bewaffneten Konflikte der Kolonialgroßmächte den Pazifismus zu einer Fiktion machten, und schließlich der amerikanische Unabhängigkeitskrieg, welcher im Namen grundlegender Prinzipien des Quäkertums, aber unter Fernhaltung der orthodoxen Quäker wegen des Nichtwiderstandsprinzips, geführt wurde, dies Prinzip auch innerlich tief diskreditierte.

折原訳
それにひきかえ、端的に無政府主義的ではないが、原則上平和主義的な基礎のうえに立つ自律的な政治形象は、存立したことがある。そのうちでもっとも重要なのは、ペンシルヴェニア州におけるクェーカー教徒の共同組織で、隣接する全ての植民者とは対照的に、事実上二世代にわたり、原住者インディアンに対して暴力を行使せずに折り合い、繁栄に成功した。ところが、まずは原住者との紛争における植民者列強の武力行使が、平和主義を空文化し、ついにはアメリカ独立戦争が、クェーカー派の根本原理を名目として闘われながら、じっさいには正統のクェーカー教徒が、その無抵抗原理ゆえに遠ざかっていたため、その原理は、内面的にも深く傷つけられた。

丸山訳
ただ単純に無政府主義ではなく、原則的に平和主義的な基礎の上に作られた独立の政治的な形成体は、実在していた。その内もっとも重要なものは、ペンシルヴェニアにおけるクエーカー教徒の植民地[Gemeinwesen[1]]で、事実上二世代に渡る期間[1681年~1776年]継続し、それは隣接する全ての諸植民地とは対象的であり、ネイティブ・アメリカンに対して暴力を用いることがなく共存し[2]、繁栄した。それは、植民地列強の武装闘争が平和主義を擬制に変えるまで続いたが、最終的にはアメリカ独立戦争が、[自由・平等といった]クェーカー教団の根本的な原理を名分として行われながら、しかし正統なクエーカー教徒が無抵抗主義を理由として戦闘へ参加することなく遂行され、そのことはこの無抵抗主義という原理をまた内部的に深く傷つけることとなった。

[1] 政治的共同体、国家という意味。前の箇所ではder Quäkerstaat(クェーカー国家)という表現をヴェーバーは使っていた。実際はイングランド国王から認可された植民地。訳注692参照。

[2] 確かに暴力は用いなかったが、「歩行契約」という悪名高い契約によって、先住のレナペ族他の土地をある意味だまし取っている。なのでここでのヴェーバーの記述は割り引いて読むべきである。(一人の男が1日半歩ける所までの土地を得ることが出来るという契約で、実際には植民地でもっとも足の速いものを使い、広大な土地を奪った。)

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